結局何だったんだろうか?
父が長男の事を番組制作者より受け取ったアンケートに書いたと言うことを知ってから、(というか、自分が送ったFAXのコピーを見てから)先方のアンケートに答えたがらなくなり、でも断れない・・・みたいな感じで、ずるずると時間が過ぎた。
途中2度、兄に断ろうかと打診するも、断る必要なしと言い、さらに国際電話までかけてきて、長男の事を恥ずかしく思う親父は間違っているだの何だの・・・。俺はおまえを心底誇りに思うし応援している。
週末に俺が聞くまで待て!と言われたので、正直自分はもううるうる~となってしまい、親父のへの憎しみを強めていって、この間のブログを書いたのだが・・・あろうことか日曜の夜にそっけないメールが1通とどいただけ。
曰く
「父は前立腺の調子が悪いので・・・言い出せないようで、僕から断ると言いました。」
テレビ制作会社の人に事情を説明すると、「お兄さんは?」と言う。自分はもう家族で揉めるのが嫌だったので(そんな予感もあり)友達では?と聞いたのだが、ダメだというので、前に自分にあんだけ熱く語った兄だったので、兄に経緯を説明し尋ねると、
「もし君が選ばれたら、自分はテレビとか出るの嫌やから遠慮します。」
だと。
なんやそれ?
なんでそうなるねん??と思い考え続けました。
考えてみたら、5年前父が脳血栓で倒れるまで、兄とは10年ほど口を利きませんでした。
それは、兄が自分に対してとても無礼だと思っていたからです。
イギリス渡英後、どんどん疎遠になりこちらが連絡しても返事もしないし、荷物を送っても届いたとも言わないし・・・そんなこともありこちらから連絡しなくなっていました。
5年前に帰ったのは、親父の荷物を整理するためでした。
兄とはもう「討ち入り」の覚悟でどうにでもなれ!と思ってました。
ところが、24日東京から電話した際の父は酩酊していました。
25日、途中の新幹線からかけても誰も出ません。
大阪に着いて電話をかけても・・・誰も出ません。
鴻池について、嫁さんが電話をかけると、なんと兄が出て父が倒れたと言う。
もう兄弟げんかどころや無く、それである意味関係が修復したのですが、その事を今日の今まで本当にコロッと忘れてました。
思えば自分も、テレビ番組への出演の打診をされたので確かに有頂天になっていたのかも知れません。
日本の家族にイギリスで生活している自分の姿を見せられれば・・・と思ったのですが、残念ながら日本の家族は自分ほどの気持ちを僕には持ってませんでした。
思えば、いつ帰っても自分のイギリスでの暮らしには全く興味が無く、話も聞きたがりません。
フィンランドまで出張で来ていたらしいんですが、こちらには電話もありませんでした。
メールもこちらからのメールすら受信しないように(迷惑メールがおおいとかで)します。
わざわざ電話かけて、メールの着信拒否解除してもらわないとメールも送れません。
その事を本当に忘れていました。
その関係は変わっていなかったのだと言うことを今気付きました。
でも、ある意味目が覚めました。
最近、日本に帰りたいと思う気持ちが強くなり、こちらでの生活を楽しめなくなっていたのですが、今回のことで目が覚めました。
自分が帰る家はもう日本にはないと。
この地に足を着いてしっかり自分の行く道を見据えて進んでゆかねばと思い直しました。